Snap Shot23

先月末の朝日新聞(関西版)に2度、中平卓馬が登場しました。
27日付け「ひと」、29日付け「単眼複眼」。両方とも大西若人氏による記事です。
前者は中平卓馬の紹介と近況報告、後者は「いまなぜ森山氏・中平氏の写真か『現在の起源』へ高まる関心」ということで、川崎市民ミュージアムで3日に閉幕した森山大道展と横浜美術館で開催中の中平卓馬展の紹介で、各美術館の学芸員の話も出ていました。

どうも、中平卓馬の昏倒前、昏倒後(「決闘写真論」以前、以後)で理論も作風も変わったという見方が「主流」を占めているようですが、私は、『新たなる凝視』以後の彼の写真に、『植物図鑑』の実践を見ています。
論理を厳密に推し進めようとするあまり、写真が撮れなくなってしまった中平は、言語と記憶を無くすることで、逆に、論理の幹だけを抽出して、「撮影行為」を続けていると思います。
雑誌媒体などに掲載された、90年代の中平卓馬の写真を逐次見てきたわけではないのですが、『アサヒカメラ10月号』の「斬新熟視」は、その幹の頂上へ彼が到達していることを示していると思います。
『Esquire2003.3』で、森山大道が中平の写真を「発光している、そういう風に見えるんだよ……誰にも行けない世界だね」と言ったのは、中平の写真が、既に超越的な領域へ、彼岸へ到達していることを指しているのでしょう。