視的生活
-067-
東三国

十八条

西三国

十三

新高

ここのところ、あまり書くことがないというか、書く気にならないというか、見つからないというか、思いつかない、考えたくない…。あんまり本も読んでないし、新聞は避けてるかも知れないし…。同じようなCDばかり聴いているし、同じ写真集ばかり見ている。たぶん、物欲と近未来への不安の膨張に征服されそうになっているのだと思う。
そのわりには、写真はけっこう撮っているし、毎日変っている(つもり)。
で、アップする写真は出来上がっていても、書こうとすると止まってしまう。
イラク関連や憲法草案等々、気になることは山ほどあるが、ここでは、そういうことには触れたくないし、ここは、写真至上主義の場としておきたい。
別段、誰とも約束したわけではないし、写真に関しても文章に関しても、メールなどを頂けることは滅多にないし、止めにしようと形を変えようとかまわないとは思うものの、ある種、強迫観念のようなものを感じながら、何とか、数行でも文章を連ねたい、という気も強い。再開するのは、更に難しいから…。
というようなところで思い惑っていると、ふと、森山大道が『写真時代』に連載していた頃のことを思い出した。毎号のように、ウダウダと「書けない」、「書くことがない」と嘆きながらも原稿用紙十枚前後のエッセイとも与太話とも言えないほどの文章があった。記憶に残るような名台詞があったという記憶もないし、それに感動したとか参考になったという記憶もないが、創刊時に連載された「光と影」のシリーズは、彼の写真の中で、最も記憶に残っているシリーズだ。
特に「帽子」は、今までに出遭った写真の中で、最高にお気に入りの一枚で、それは、森山の安井仲治の「犬」への思いと通じるのではと思っている。路上で、街頭で、風景の中で、光り輝く帽子と出遭いたい。
こんなことを書くとまた、今回アップした写真との関連を求められるのかも知れないが、ここ「視的生活」にある写真と文章の間には、何の関係も関連性もありません。
念のため。

_2004.11.28