観念奔逸的写真論 -3-

Canon EOS D30が発売されたのは、2000年の暮れ。
これを契機にしばらく停滞気味だったプロ用、或いは、高級デジタルカメラにもやっと新しい動きが出た。以降、ニコン、キャノン、フジ、シグマから次々と手が届きそうな価格の一眼レフ・デジカメが、また、まだまだ高価ではあるが、キャノン、京セラ、コダックからは従来の4分の1の価格で35mmフルサイズのデジカメも発売された。先日のPMAのレポートなどを見ても、デジタル一色と言ってもよいほどだ。
仕事用撮影もいよいよデジタル化本番である。
前にも書いた通り、私は2000年末にEOS D30を入手したが、そのちょうど1年後にEOS1Dが発売になり、広角の画角ほしさにまたもや購入。さらに昨年末、ついに35mmフルサイズのEOS1Dsが発売された。さすがに、もう着いて行けません。が、この3月(今日でしょうか?)、EOS10Dが発売される。
低価格にもかかわらず、金属製のボディをもつこのカメラは、D30やD60と比べると、ちょっと触れただけでも安心感がある。1Dには広角系、10Dには望遠系のレンズを着けておけば、すごく合理的かつ経済的だ。
D30のボディには、常に不安感というか不信感というか、があった。
以前、キャノンのA1というカメラを落とした時、裏蓋付近が割れたことがある。その頃メインで使っていたF1は、巻上げレバー付近が凹んだにもかかわらず、クルマのボディのように「板金処理」で叩き出され、元どおりに使えるようになった。
以後、金属ボディというだけで「信頼」を寄せるようになりました。

以下の文章は、1999年5月以前に書いたものですが、デジタル時代だからこそ、なおさら押さえておきたい部分であると考え、今さらながら掲載します(^_^)
そして勿論、この続きも書きたいのですが…。

自然の鉛筆

 写真術の発明者の一人にタルボットという人がいる。ダゲレオタイプのダゲールやニエプスほど日本では知られていないようだが、実は現在の「ネガ‐ポジ法」の生みの親であり、「複製技術」としての写真を発明した人物である。
 ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットはイギリスの科学者、新発明の発表がダゲールよりほんのちょっと遅れてしまったためダゲールの方が圧倒的に有名になってしまっているが、あと一月早ければ、写真の発明者はタルボットただひとりだけが歴史に名を残すことになったであろう。しかし彼は写真芸術家としても充分に通用するところがあるようだ。彼の著書には「自然の鉛筆(The Pencil of Nature)」という写真集が残っており、それは1844年から46年にかけて刊行されたのだが、タイトルから分かるように、日本での東松照明の登場を待つまでもなく、写真は最初から鉛筆だったのである。タルボットが理解するところによれば本来的に、写真はペンや絵筆と同じような筆記用具であり、新しい表現手段であり、芸術であった。それも、人間の視力の限界を超えることのできる新技術であった。絵画より精密に、言葉よりも具体的に。「かつて用いられたどのようなものとも一切似たところのない全く新しい操作をともなう極めて独自な芸術」(タルボット自身による)なのである。
 写真の登場により美術史の流れは大きく変えられ、所謂ジャーナリズムにも多大な影響を与えた。ドラクロワ派とアングル派の対立は有名であるし、国家によって写真を取り締まれ、などという恐ろしい話にまでなっている。1857年、かのボードレールは「写真は科学や諸芸術に奉仕するという本来の義務に、復帰せねばならぬ」と、述べている。写真について考えるにあたり、19世紀半ばの美術史を調べるのはとても有効な資料になるに違いない。発明されて10年そこそこで、多くの、大きな問題を生み出しながら、写真は物凄い速度で進化、普及していったのである。
 現在、コンピュータの普及とデジタル・カメラの登場によって写真に大きな変化が起こっている。“IT革命”の号令とともに、この数年のデジタル化は凄まじいばかりの速度である。
 かつてのような論争は起きてはいないが、デジタル・カメラの普及の勢いは、しばらく止まりそうもないし、安価であることや小型であること、さらには携帯電話への搭載など、写真の底辺人口は確実に広がっていると言えるだろう。
 ひょっとすると私達はとても面白い時代を生きているのかも知れない。去年から今年、今年から来年、ブロードバンドの普及とともに、いったいどういう変化が起こるのか、とても楽しみだ。
 さて、ヴァルター・ベンヤミンは、「写真小史」と言う1931年の小論の冒頭で、「最近の文献は、写真の最盛期は、その最初の10年間だったという、驚くべき事実をあきらかにしている」と書いているが、クリミヤ戦争にはすでに従軍カメラマンが同行しているのである。ということは、すでにこの時に「動き」を写し止める力が写真に与えられていたということになる。15年ほど前、私がスポーツ写真を撮っていたころ、「止まるカメラをお持ちですか」と尋ねられることがしばしばあったが、そんな物は100年以上も前から在ったのである。カメラの進歩が速すぎたのか、メーカーの取扱説明書が不親切なのか、それとも多くのHOW TO本には抜け落ちているのか、一体どこに責任があるのだろう。
それにしても、最近のカメラのもつシャッター速度はすごい。映画でも写真でも、昔から何度も見たことがある映像なのだが、ミルククラウンや林檎を撃ち抜く弾丸の映像はいつ見ても驚きである。数年前までは「特撮」の世界だったのだが、今やごく普通のカメラで「特撮」が出来るようになっている。うかうかしていると、プロカメラマンはメカニズムに追い越されてしまう時代になっている。技術がプロの証になった時代はとっくに終っているのだ。写真の登場により絵画の方法が変えられたように、小型で高性能なデジタル・カメラやパソコンの普及により写真の有り方も変化を迫られているのだ。とっとと頭を切り変えて、技術偏重から感性―ソフト重視へシフトしておかないとひどい目に合うだろう。「こんなことが出来る!」が自慢にならない時はすぐそこまで来ている。
 160年前に「自然の鉛筆」として登場した写真術は、鉛筆どころか心眼と言ってもよい力を我々に与えてくれたのだから、よく見て、しっかり表現しなくては…。