…(略)…こうした南天堂が、アナキストやそれに親近感を抱く若い詩人、画家たちの溜り場化して行ったのは、三階建ができてからは支店になった元の小さい店のころから、近くの本郷曙町に大杉たちの労働運動社があったということがある。それともう一つは、どういう縁からか不明だが、大杉と親しいアナキスト作家の宮島資夫は早くから松岡虎王麿を知っていたらしい。酒が飲めてツケのきく店を知り合いが始めれば宮島が入りびたるのは至極あたりまえだ。さらにまた国家社会主義に転じてしまった売文社の高畠素之も常連の方だった。(p118)

…(略)…「南天堂時代」とさえ言われる店を結局は人手に渡した(1930年代?)、渡すような経営で「南天堂時代」を成立させた松岡虎王麿という人物の存在は、私の記述して行く小野や岡本や萩原や壺井やの詩人たちの動きの底の見落せない一つ、異質な楽器で別の低い低い韻律を奏でながら実は全体のアンサンブルがそれによって成立していた、そういうものとしていま書いておくしかないのである。(p120)

ここから更に概ね20年、寺島さんは執拗に取材を続けていた。
「南天堂」を追い続けて40余年という、恐るべき持続力!

(プレイガイドジャーナル社1980年刊→現ビレッジプレス)
http://homepage1.nifty.com/vpress/