![]() |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
文学少年、不良少年への傾斜を強めた。 |
|
兄とともに飛行機会社に就職。 新宿旭町の木賃ホテルに初めて泊まる。 詩集「道標のない地帯」刊。 |
|
|
|
石川三四郎の紹介で木村荘太のもとで農夫蒹学僕生活の予定が徴用令。 三菱造船横浜ドックに徴用されるも逃げ出し放浪、憲兵隊に留置される。 「若い人」に初めて詩を投稿、掲載。 父の薦めで海軍志願兵を受験、合格。 |
〜44年 |
|
〜9) |
5月、横須賀第二海兵隊に入る。 8月、鈴鹿海軍航空隊に配属。 外出から帰らずに戦時逃亡罪で懲役1年8ヶ月の軍法会議判決、横須賀海軍刑務所に服役。 |
|
不馴化性全身衰弱症で入院。敗戦による第一次釈放で帰宅。 小私鉄に就職。 帰宅挨拶に対する木村艸太(荘太)の返信で辻潤の死を知る。 兄静男とでガリ版雑誌「ぶらつく―黒色或は散策」創刊。西山勇太郎ら寄稿。 職場で労働組合結成、組合長になる。 |
1月、「ぶらつく」第二冊発行。4月、第三冊、8月、第四冊発行。 第三、四冊でダダカンスケの獄中遺稿などを特集。 「じんみん新聞」「千葉新聞」「ダダ」「コスモス」などに作品を発表。 岡本潤、小川三男(光生)と親しむ。H映画社に入社。 |
|
「詩精神」「平民新聞」などに寄稿。「ぶらつく」は第五冊で終刊。 秋山清、石川三四郎、伊藤和などが寄稿。 |
|
鋼鉄メーカーに就職、労働組合書記長に。 左翼労働運動中枢と接触深める。 詩集「ぼうふらのうた」刊。 |
|
労組運動に倦怠、発表の当てのない文章を書く。 辻潤の墓碑建立記念の「陀仙忌」に参加。 |
|
運河に浮かんだ木造船アパートのU夫妻に寄食。 |
|
この頃、神戸異人館街近くの喫茶蒹食堂で働く。 |
|
二度目の山谷、食堂で働く。 石川三四郎死去。 |
|
「人間喜劇」が創刊され参加。 |
|
岡本潤、菊岡久利、小川光生、竹島昌威知などの寄稿。 |
|
「どぶねずみの歌」刊。 同人誌「鯤」創刊。 高橋徹、三好弘光、粟田茂などが参加。 小野十三郎を調べ始める。ドヤの三畳間は古雑誌倉庫となる。 「労務者渡世」創刊。毎号に記事を書く。 小川三男死去。 |
|
岡本潤死去。 |
|
|
|
「後ろから放り投げられたような…」地震体験。 「寝ていたら、本の下敷きで死んでたかも知れない…」 習慣の朝風呂途上で身体は無事。 |
|
6月12日、肝臓および食道癌と診断。 6月23日、八尾医真会病院に入院。 7月22日午前11時35分没。享年73歳。 |
|
|
|
参考:「寺島珠雄詩集」所収自筆年譜、「楽市」34号、「雲遊天下」22号
|