In & Out-2

 彼が活躍し、傷ついた70年という時代。
 東大全共闘の解体を軸に、三島由紀夫の割腹自殺、歩行者天国が町中の歩道に設定され、連合赤軍の浅間山荘事件が72年に引き起こされる。75年にベトナム解放宣言により、65年に開始された米軍の空爆が漸く終決する。各大学には全共闘という学生運動、によってバリケードが張り巡らされ、機動隊との衝突が全国的にあった、そこでは先の東大全共闘の解体に因る敗北感が充ちていた。
 単純に、有り体に言って、しまえば、敗北の「政治の季節」でもあった。アジテーションがまだ有効であるかと思えた時代。無論、生活活動の主体となる<大衆>と直に関連するのは、日曜遊歩道での、ヒッピイ風、ふうてん風のお兄ちゃん、お姉ちゃんの闊歩の風景だろうか。あるいは大阪での万国博覧会の開催だろうか、当時の人口の何分の一かが入場していったのだろうと思えるほどの、非常に大きなイベントもあった。
 市場(いちば)という消費の構造から、ス−パーという消費構造に転換していく高度経済成長の象徴の時期。私はその時期を懐かしく想っているのかも知れない。それを拒否して、ぐれたことを言おうとしているのかも知れない。だがそれだけではない、それだけではなかろうと想う。

 この時期の「物語」を思想?として眺める、風景として眺める、それぐらいの必要と余地があるのではないかということ、それによって現代の風化した矩形の情況が今までとは違った風景、私たち個人の生活という個人的な活動が、傷つき跛行しながらももっと色付いたときめきのあるものになるのではないか。それともまったく逆に私たちの生活の活動が、時代性に引き裂かれた空虚感と疲れ疲弊したものになるのではと想いたいからだろうか。あるいは、今の時代と過去の時代との対比により、一層いま現在を懐深く読み解きたいからだろうか。それら全てにおいて望んでいるのだろうか。
 In & Outにある中間項としての自由と制度の人間の色(ポール・エリュアール)(註3)、とりあえずこれに拘ることにする。

 敗北の「政治の季節」といっても、そのように形容された時代を体現していたのは極く一部の者たちによってであり、私を含めて一般のものには、得体のしれない空気が、名づけることがむづかしいが、退嬰的ではあるがほの暗くとも熱い屈折した空気があった。しかし、その空気を私たちは、映像によってその時代の象徴する記録としての映像によって、かろうじてだが再現できる。その時代的表現のなかに、記録映画と記録写真がある。
 そして、時代を体現したもののそれら時代的表現や文書活字によって、象徴的に再現できる。もう少し、この時代の空気を呼吸しやすくすると、闘争の運動のときであり、それが潰えていく無力感のとき、そして社会的なそして過剰なまでに基本的な、そして根底的な深い問いがなされる空気が結晶していた時代でもある。その時代に提出された『来たるべき言葉のために』による粗削りではあっても、期待すべき解答の無い動きに、表現の運動の中に、中平の言葉は、表面的には人を突き放していく挑発と、煽動的ではあったが、自らの脆弱性をニヒルに途轍もなく抱えこみ、それとの引き換えに、自らに賛同してくれるものを探し求めるようにも響いていた。それは社会性・政治性の運動のなかにある人間の色にあるものに呼応するようでもあった。
 到底、到来することの不可能な、返事の出されることがあり得ない解答の無い渇いた時代、その時代になされた「物語」でもあるだろう中平卓馬。中平のなした彼自身が出来ない、打ち明けられてない「物語」、時代性の「物話」。

 この中平の写真集でありながらも、その特性までを否定するような思い詰めた題名はどこに根拠をおくのか、「まず確からしさの世界を棄てよ」とした有名な、そして、写真に対して投げやりなアジテートは、何を目論んだそれであるのだろうか?問いを自分側ではなく、向こう側に問い掛ける、そこにどのような答えも期待してはならない。問い掛ける相手の実態はなく、不特定多数の返答の無い空しさだけが残るアジテート。写真が記録だとアジテートしながら、記録だと弁えよというのではなく、写真の限界をその確定をアジテートし、限界性を求めて、時代性をその象徴性という俯瞰性を自らと引き換えつつ、身を削りながらも提示していくその自分側の姿勢。
 その思想という「心構え」。表現者としての心の構え方。
 いつの時代でも、屹立しようとする思想という「心構え」は矛盾を孕み、酷く傷つき、容易な理解と多くの拒否と無理解による罵倒を浴びて、孤立していくのか、、、。或いは外の世界を挑発し、扇動し的外れな発言の繰り替えしとなるジレンマに自ら落ち込み、疲弊し、発言者個人の内側に孤独を囲うのか、、、。この焼け尽くすまでの引き裂かれた矛盾。引き裂かれた矛盾は、孤独として崩壊していく孤独でもあるのか。
 事物にこだわり、事物によって状況を語る、中平はこれに拘り続けた。写真においてだけではなく、映像についても、言語についてもその拘りがあった。

 「プロヴォーク」というその名にふさわしい扇動する同人誌によって「まずたしからしさの世界を捨てよ」と文章により、写真は記録であると言う、「思想のための挑発的資料」としての写真をまずは記録として把握せよと扇動・挑発した。その写真を使わない文章的アジテートは、一方で報道写真の持つ、伝えようとすること自体が帯びる傲慢、写真を報道という複雑性に絡む事実に引き換えることができるかのような慢心、これに基づく非記録的行為、それを排除する。その一方で、たかだか機械による複写を芸術写真として芸術の名を騙り、この偽りを乗り切ろうとする不遜を解体することを意図していたと思える。西井一夫(註4)が言うように、カメラは見る機械であると、同時に撮影者を視ることに捕縛していく、強い矛盾を抱き込んだ魔術的機械だ。
 裸眼で視る、視える、私たちの<現実>世界と切っては切れない位置を占めながら、そのファインダーの向こうには切断された<現実>であるかのような特別な目を撮影者に与える。視ることと視えることの大きな違い。視ることは裸眼にあっては意図して、そこに対象物を凝視する意図的行為が必要だ。凝視とは眼の中に枠を招き入れること。それとも一点をつぶさに見つめる視線のこと。この興奮に酔いしれ、意識が溶けていくこともある。マチエールに対しての拘りに似た誘惑。凝視は誘惑。凝視する誘惑をファインダーという四角い枠で区切るカメラ。

 カメラという機械は、凝視する誘惑を持っている。
 ファインダーを通して視ることは、ファインダーの外の他の存在の拒否。そういったカメラの、視ることの構造に入り込むこと、視覚に向かった胸高鳴る冒険でもある。その区切られた視界に映し出される事物の美しさに、人はときとして、酔いしれる。その物と物との関係、事物と事物の関係による構成に、人はときとして、ときめき酔いしれる。ファインダーという凝視の別名の誘惑。
 視覚への些細ではあっても、うきうきした冒険心を駆り立てるカメラ。視ること視えること、その違いをくどいほどに与える機械としてのカメラ。ファインダーと化した眼は、時として視ることの欲望に麻痺し、ときに痙攣する。対象物のもつ、そしてそれらの関係性にある残酷なまでに美しい即物的魅力に撮影者は麻痺していく。
 そこでは自らの冷静な意志はない、ただ視ることの欲望がある。ただ単に視ることの欲望がある。そこにあるのは個人の、「私」があるだけだと言っていい。それらの活動は、欲望という「私」に捕らわれてはならない、そこにあるものとして、事物を観察し記録する、その酷く地道な撮影とは懸け離れた撮影的行為だ。欲望としての「私」、誘惑に引き込まれる「私」の撮影的行為は、観察し記録する過酷な厳しい錬磨と陶冶する撮影的行為の放棄でもある。
 視ることに捕らわれた「私」に引き込まれ、溺れていく「私」、また、その在り方。それに伴う麻薬の吸引に似た麻痺することに満たされた解放感。カメラはそうした一面を以て撮影者をいざない、惑わす機械だ。自らの欲望と事物からの誘惑、それらを一切認めず排除し、事物を「観察記録」する。言わば、その機械のさまざまな魅力に、引き込まれない作者としての写真家、さまよう誘う魅力から独立して行くにはそれなりの覚悟と、それを強固に排除拒否していく自覚が要請される。プロヴォークでの中平の主張は、これを思想の形にして、アジテートしていくことにおいて、自らの生と心に領域を確保していく、時代的色彩の強い方法だった。彼は矛盾しながら、それを自らに抱え込みながらもブッキラボウにも提唱した。

    (註3)
    シュールレアリズムの詩人。
    1895年パリ生まれ、1942年フランス共産党に入党。
    「義務と不安」「愛すなわち詩」「シュールレアリズム簡約辞典」など。

    (註4)
    写真家・批評家
    その要約力と感情を律した読解力には、凄みさえ感じることがある。
    「写真的記憶」「なぜ未だプロヴォークか」