SNAP SHOT 24-2

「写真は言葉に支えられる必要などないし、意味を発しなくてよいのである。理解されることなく了解されること、言葉を超えて啓示となること、根源こそが唯一最大の問題なのだ。写真は言葉を沈黙させるほどの、より深々とした沈黙に支えられていればよいのだ。たとえそれがどんなに見映えのしない表面をしていようと、それを「ブス」などと呼ぶような網膜的思考とは、それこそ「笑ってあばよ」をするだけだ。一人の犠牲=サクリファイスの存在によって少なくとも写真の黙示録へ、〈窓〉は開かれたのだ。

「写真の黙示録」西井一夫
『なぜ未だ「プロヴォーク」か』

1975年、『なぜ植物図鑑か』と出会うことで意識的に写真と関わり始めた私は、「プロ」になることで写真への想いを失ってしまっていたようです。
いま、私も「原点復帰」しようと思います。

_2003.11.09