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「現代的大都市とは、歴史的な連続体に対して、『アッチを切り取り、コッチを毀し』ながら進んでいる『人工的な解体工事の集合体』だから、裂け目で成り立っているものであって、ここで産まれる、芸術は、その裂け目の切り口を眼光鋭く現場感覚をもって表現しなければならない(江戸時代の俳諧の如く)。[藤田省三著作集9『「写真と社会」小史』まえがき/みすず書房] 初出は、83〜84年にかけての『カメラ毎日』に掲載された、アジェとアーバスの写真に関する論考がまとめられている。 「確かに写真が意味をもった時代は終わったけれども、その代わりに、自然・心・地域・過疎地帯などの『裂け目』が現代的認識領域の中心となっている。」[同上] 西井一夫の「なぜ未だ『プロウ゛ォーク』か」と同様の認識である。 デジタルvs.アナログ、フォトグラフィvs.デジグラフィ?の評価や差異よりも、カメラによって何を見るか、薄っぺらな写真の中に何が見えるか、を、コトの中心としたい。 _2004.9.12 |
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