視的生活
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東三国

西三国

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久しぶりといえば、Van der Graaf Generatorが27年ぶりに再結成!して、例のシルバーのロゴを使ったニュー・アルバムが発売された。
以来、当然毎日のようにこのアルバムを聴いている。
その前まで毎日聴いていたのは、P.F.M+Mauro PaganiのライブとVan der Graaf Generatorの“I PROPHESY DISASTER”というベスト盤である。
そこで演奏されるのも、また、70年代の「プログレッシブ・ロック」だ。
「最近のロックは、いまいち…」などと嘆いているわけではないが、己の身辺整理のつもりで、過剰なものと必須のものを選り分けていくと、70年代の学生の頃から関わった物・事の方に、残るものが多い。
写真にしてもそれは同じで、中平卓馬、森山大道が、今でも、どうしても必須であると思っている。ロラン・バルトやロブ・グリエ、デュシャンやマン・レイ、ブニュエルやゴダールについても同様である。
成長していないのだ!と言われれば、そうでしょうねェ、と応えるしかないのだが、裏返せば、老化や若気の至りなどというものからは無縁だ、という自負はある(自慢できることじゃないだろうけれど)し、良いモノは、いつまでも良いのだ!という確信もある。同じ理由で、憲法第9条を守らねばならない、と思っている。

いま、名古屋では、「愛・地球博」が開催されている。
1970年、大阪では、「EXPO '70−人類の進歩と調和」が開催された。
64年の東京オリンピックから続く、右肩上がりの経済状況の中で、進歩や調和が存在する、と信じて疑わなかった。
歴史を学ぶことで、ヒトは進歩するのが当然である、と教えられた。
が、五十歳になる遥かに以前に、その欺瞞に気がついてしまった。
核兵器が造られたように、科学はその名の通り、自然に進歩しているのだが、その周りのヒトと社会は、堂々巡りを繰り返しているに過ぎないように見える。
カール・マルクス曰く、「歴史は繰り返す、1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」である。
新しいモノが、常にタダシイとは限らない。温故が、必ずしも知新であるとも限らないが、古いモノの中にこそ、革新性や革命性が潜んでいることから、目を背けるわけには行かない。
二十歳代の、己の精神がまだ活気に満ちている時に出逢った物・事の中に、衰えゆく自己へのメッセージがあるのではないか…。

そんな理屈で生きているわけではないが、私は、今日も明日もVan der Graaf Generatorを聴く。

_2005.6.30