御協力いただいた方々のご紹介
*紫村美也の独断と偏見によるご紹介です。まちがっていたら済みません。すぐ訂正致します。
田村治芳(東京都) 古書目録の月刊誌『彷書月刊』編集人。
古書店「なないろ文庫ふしぎ堂」店主。資料探しの力強い協力者として寺島さんが信頼した古本屋3人組の兄貴分。

寺田義隆(静岡県) 竹中労を語るためのホームページを持つ竹中ファン。
関連情報にも敏感でHPの『南天堂』広告は版元よりも早かった。義に厚く寺島珠雄追悼会にも出席。

日野善太郎(大阪府) 釜ケ崎時代からの友人。
ファインダーをのぞかずに写真を撮る寺島さんの得意技は、寺島さんから頼まれた釜ケ崎撮影のとき日野さんが使った手法だったらしい。

鈴木一子(静岡県) 寺島さんが心から敬愛した詩人・岡本潤のひとり娘。
岡本亡き後も研究者と遺族という表現は似付かわしくないほど深い親交を重ねてきている。

長谷川修児(東京都) 『遊撃』発行人。
73年「反政治詩集」編集で出会って以来最期まで、寺島さんは長谷川さんの運動を影から応援した。『遊撃』第316号は寺島珠雄追悼号。

佐原光子(広島県) 元美術教師。教え子(卒業生)を介して紹介された。
運動関係の話題も豊富だが、寺島さんはそれ以上に、よく笑う真面目でおおらかな性格に親しみを持っていた。

山野治(三重県) 『三重詩人』同人。寺島さんと同誌との関係は20年以上。
山野さんは新築した家に寺島さんの部屋も用意したよと誘い、寺島さんは困惑しながらも喜んでいた。

やまのすみれ(三重県) 『三重詩人』同人。
寺島さんが愛用した手編みセーターやはんてんなどの多くはすみれさんの手づくりだった。ポケットを付けろなど注文が多かったという。

石野覺(石川県) 寺島珠雄の1ファンを自称する。
しかし石野覺編『寺島珠雄詩集』には寺島さんの自筆年譜を収録。誰が頼んでも書かなかった年譜を彼のために書いた。

村元武(大阪府) 「プレイガイドジャーナル」を経て、現在「ビレッジプレス」。
竹中労を通じて寺島珠雄と出会い、「旅の宿りの長い街」「断崖のある風景」出版。サブカルチャーにこだわる。Macにもこだわる。

久保田一(京都府) 《辻潤》を中心とするアナキズム研究誌『虚無思想研究』の編集委員。
大月健さんらとともに、事務局的な役割を長く続けている。
その「継続の力」を寺島さんは深く信頼していた。

山本薫(京都府) 1954年“どすえ”の本場に生まれ育った生粋の京都っ子。
16歳にして《辻潤》を知る早熟さを隠し持つ和裁の先生である。『虚無思想研究』の編集委員唯一の女性でもある。

大月健(京都府)
微笑した表情だけが印象に残る不思議なニヒリスト。
その丁寧な仕事と控えめで誠実な人柄を、寺島さんは愛していたと思う。不定期刊誌『唯一者』発行。

紫村美也(大阪府) 寺島珠雄の娘のような存在であり、晩年は秘書的役割も担った。
『低人通信』や年賀状、各種記念会の栞の制作などは、すべて任されていた。『ぶらつく通信』編集。


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