Snap Shot 28

興味のない人は、すでに辟易とされてるでしょうし、中平卓馬はもう古い、間違っていたと切り捨て済みの人も多いと思います。ここで中平卓馬と連呼していることに、当の中平卓馬が知ったらどう思うかも気にならないではありませんが…。
70年代半ば以降、よちよち歩きだった“フィーリング世代”が立派な大人になり、さらに、“イデオロギーの時代”は終わったなどと言われて久しいのですが、私の中では、戦後はおろか70年代の総括も終わっていないように思えます。そして、ファーストフードのように出来合いの均質化された一口サイズのイデオロギーが、コンビニに溢れています。
この間、科学技術は革命「的」な進歩を遂げ、フィルムなしでも写真が撮れるような時代になりました。コンピュータ「が」絵を描くのも当たり前のことになりました。手塚治虫がアトムの誕生を予言していた年ですからね。

あの歴史の転換期の頃から一歩も踏み出せてはいない現在の写真状況に対して、なぜいま「プロヴォーク」なのか、ではなく、なぜ未だ「プロヴォーク」でしかないのか、とあえて問い直すことで、原点を失ってしまった写真の現在に転換を方向付けるためいささかの波風を立てたいと思う。
「プロヴォーク」に戻れ、とか還れ、などというのではない。「プロヴォーク」から始めるしかないのである。彼らによって、スタートラインだけは敷かれたのだから。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子)というではないか。
(『なぜ未だ「プロヴォーク」か』西井一夫1996.5刊)

この本の中で西井一夫は、中平の論理を「粗雑な論理」としながらも、ここにしか出発点はないとします。
写真とは何か、を考える時、避けて通ることができない場所に、中平卓馬がいます。ここを避けることは、写真を放棄すること、思考を停止することと同義です。

1970年の『まずたしからしさの世界をすてろ』『来るべき言葉のために』という宣言的なタイトルから73年の『なぜ、植物図鑑か』を経て、77年『決闘写真論』と同時に昏倒し記憶喪失・失語症となり、『新たなる凝視』(83年)から『さらばX』に至る中平の写真行為の軌跡は、それ自体がひとつの小さなドラマのごとくであった。そのドラマは記憶喪失で二つに切断されるのではなく、記憶喪失が内に含まれているひとつのドラマである点で、時代ごと記憶喪失を生きている、いや、血色よく死んでいる私たちの時代をキチンと映し出しているように思える。
(同上)

東京では、またまた森山大道の写真展があるようです。
そして、来月にはいよいよ「森山大道全作品集」の刊行が始まります。

_2003.11.25