視的生活
-063-
−新今宮−
釜ヶ崎

南霞町駅前

釜ヶ崎
釜ヶ崎
ジャンジャン横町

曇天、長く厳しい夏がやっと影を潜めた雨の後、天王寺の近くまで所用があった。
まっすぐ帰ることも考えたが、仕事が一段落したのと思いつきで、久しぶりに、天王寺駅前から西へ向かって歩くことにした。
大阪の最もコアな地域。
生れも育ちも京都である私には、それほど馴染みがあるわけではない。
仕事以外でカメラを持って歩くのは、いったい何年ぶりだろう。80年代には、ガイドブックや雑誌の取材で歩いた記憶もあるが、スパワールドやフェスティバルゲートなんて、随分とまえに新聞で見たことがあるだけだ。
それにしても、周辺の濃密な感じとは正反対の殺風景。築後何年かは知らないが、階段にホームレスが昼寝をしていても、異物感は拭えない。まあ、これが新世界なのか…旧世界なのか…。

写真専門学校時代、友人とふたりで朝っぱらから新世界で酒を飲んで、その「勢い」?でスナップして歩いたのを思い出す。
「フィルムを抜かれることもあるかも知れへん」と脅された。
が、実のところ、一足ごとに、故寺島珠雄が脳裏に浮かぶ。
放浪癖のある寺島珠雄が、『旅の宿りの長い町』と長期間住んだ町だ。
一筋一筋の道、一軒ごとの店々に、寺島珠雄の跡形を探し、確認しようとする自分がいる。「旅の宿りの長」そうな人とすれ違う度に、寺島珠雄を知らないか?などと声をかけたくなる。飛田も三角公園も知らない私が、30年前を想像する。
亡くなって5年、寺島さんの問いに、私はまだ答えを出していない。

バブルの頃、一泊2,000円近くになっていた「ホテル」が、1.200円に下がっていた。昔ながらの木造二階建て、一泊900円の建物の前で、すらりとした上品そうな「御夫人」が消えた。

_2004.10.02